向かうところ敵なし

敵は己の内側に在るのみ。


山瀬の怪我の後、ギドが山瀬に掛けた言葉が忘れられない。
ギドは山瀬に、山瀬がレッズに必要な選手であること、ギド自身もまた両足を立て続けに骨折した経験があり、その後15年間、無事にプレーを続けられたこと、だからしっかり怪我を治すようにと伝えたそうだ。
言葉には、その人が発することによってのみ、持ち得る力があるとワタシは思う。たとえばたった一言の「頑張れ」も、無責任な他人に言われるのと、ずっと自分を見て来てくれた人に言われるのとでは、たいそうな違いがある。
だからギドが山瀬に掛けた、経験から導き出した言葉は何よりも大きな勇気として、山瀬に伝わったのではないだろうかと思うのだ。百聞は一見にしかず、とはよく言ったもので、経験に勝るものなど、あまりない。想像でものを言われたら、ワタシならこう言い返す。
「お前に何が分かる。勝手なことばっかり言うな」
だからワタシは怪我についてどうのこうのとか、言えない。山瀬の復活を信じているけれど、山瀬が今何を考え、何を感じているかは分からない。回復を祈るのみ、だ。

でも、残念なことに親を亡くす悲しみなら、ワタシにも分かる。死に目に会えないやり切れなさも、分かる。どこまでも着いて回り、消えることのない後悔も。ああしたら良かった、これを言えば良かった。思い出すのは、最期に見た姿だ。もっと何か出来なかったのか、ずっとずっと果てなく、何年も何年も考え続けるのだ。もう何も取り返すことは出来やしないのに。


誰かのため、という大義名分は好きじゃない。きっと人間は、最後は自分のためにしか動かない。でも自分のためにすることが人のためになることも、ある。大義名分は好きじゃなくても、そんなポジティブなエネルギーの連鎖を、ワタシは否定しない。


山瀬の代わりなんてどこにも居ない。ギドの代わりも。
でも彼らが抜けた穴を、またちょっと違った方法で、今のレッズは埋めることが出来る。ポテンシャルは落とさずに、だ。

敵は、起きてしまった現実ではなく、それを受け止められずに下を向いて怯む心だ。
大丈夫。今のレッズなら、向かうところ敵なし。


ギドのお父様のご冥福を心よりお祈りします。