去り行く夏を今更オシム

珍しくダンナがサカダイを買って来た。啓太んのインタビューが載っていたせいらしい。青い啓太んを観ると今でも思わず涙腺が揺るんでしまうのは以前も書いた通りで、誇らしく啓太んのインタビューを読み終えたのだけれど、その後、ぱらぱらとページを繰っていたら、人間力w がエラソーに「オシムサッカー大放談」とか言う記事でオシムサッカーを語り、阿部勇樹を褒めておった。けっ。おまえはどの口でそんなことを。っつかなぜ啓太んと山瀬について触れないのだw

ところで先だってのトリニダードトバコ戦に先発したメンツのほとんどが、啓太んにしろ、山瀬にしろ、阿部にしろ、駒野くんにしろ、達也にしろ闘莉王にしろ、そしてハセや寿人にしろ、ほとんどがアテネ五輪組、またはそこから漏れた組で占められていた。
しかもそれもアテネ五輪メンバーから漏れたメンツはもちろんのこと、アテネ五輪に行ったメンツにしても、正しい使われ方をされずに本来の力が発揮出来なかったメンバーばかりが選ばれ、活躍していたのはどうしたことだろう。

と考えていたら、清尾さんのコラムにも似たような内容のものがあった。

国立競技場の記者席最上段に座って、何気なく斜め後ろを見たら、後ろを通る人の顔がいた。山本昌邦さんだった。山本さんの顔を見て初めてそのことに気がついたのは、感性が鈍っているのか、それともピッチ上の6人に気を取られていたのか。闘莉王、達也、啓太、山瀬の4人が青いユニフォームを着て、同時にピッチにいる。
2004年の7月16日、大原での五輪代表選出記者会見に達也は8番、闘莉王は13番のユニフォームを着て現れた。
あの日、啓太と山瀬は歩んできた道の向こうにドアがない無念さを味わっただろう。その1ヵ月後に、達也と闘莉王は持てる力をすべて出せずに途中で道を降りる悔しさを噛みしめた。

付け加えれば、やはりそのアテネ五輪では阿部勇樹は本来のポジションではないDFで使われ続け、駒野くんは怪我をした(これは人間力のせいとは言えないけれど、言いたくもなるw)

そして彼らはゴールデンエイジと呼ばれる伸二やイナたちと比較されては「谷間の世代」などと呼ばれ、あたかも彼らに力が無いかのように扱われ続け、ジーコのばかちんとバカワブチのせいでドイツW杯では碌にチャンスも与えられずにテレビ観戦を強いられ、ゴールデンというほどに黄金世代で占められたメンバーが大活躍w したドイツW杯も、あの体たらく。

一体、誰がどれだけバカなのかと。

指導者の存在ってのは大きなものですな。それが今更日本がこの4年間を掛けて得た、最大の教訓ですよ。ああ、本当にオシムさんの言う通り「敗戦は最良の教師」です。


そういえばダイの記事中で、こんな写真をハケーン。

ワタシ、ハセについては公式戦出ビューした時から、そして山瀬についてはレッズに移籍して来た当初からずっとピッチで観てますが、この二人がピッチ上でこうやって戦術なのかポジションなのかプレーについて話しているところ、目にした記憶がありません。それはハセがずっと同じポジションを争う山瀬を過剰に意識していたせいもあったと思うのですが(当時のハセと山瀬についての記事とか読むとすげー面白いですよ。ハセは山瀬を一方的にライバル視しまくり、山瀬は華麗にスルーw)でも、だからこそこの二人の関係が興味深くて、レッズに居る間は本当にずーっとこの二人のプレーを注視していました。
山瀬がプレーについて啓太んなんかと話している横を素通りして行くハセなら何度も観たことがあるんですけどねw
ついでに山瀬のゴールを祝福しているハセも、あまり目にした記憶が無いですね。横を素通りして行くハセなら何度も観たことがあるんですけどねw

なんだろ、チームが変わったからかな。それとも日本代表というステージ上で、だからかな。まあ一番の理由は多分これ、ハセがプレーヤーとして成長したってことなんでしょうけれども。

っつかハセって明らかにデビュー当時より身長が伸びてる。恐るべし、男の成長期は25歳まで。でもおそらくこの法則は髪の毛には適用されない。